那須野ヶ原の概要

01 那須野ヶ原の概要 那須野ヶ原の地形の特色

那須野ヶ原の地形の特色

栃木県北東部に位置する那須野ヶ原は那須塩原市、大田原市にまたがる4万ヘクタールの複合扇状地です。複合扇状地としては国内最大といわれています。那珂川と箒川が合流する那珂川町あたりを南東側の頂点として、北東側の那須連山にむけて木の葉のような形で広がっています。
栃木北東部といっても、けっして辺境の地ではなく、東北新幹線と東北本線が通り、那須塩原駅で降車すれば、そこが那須野ヶ原です。ほぼ中央に国道4号線と東北自動車道が通ります。国道4号線は旧日光街道、奥州街道を継承するもので、江戸時代以前からの主要街道のひとつです。東京都心からの距離はおよそ150キロメートルとアクセスも良好です。
那須野ヶ原の4万ヘクタールという広さは、東京の山手線内の土地がすっぽりと6個入り、奄美大島(461平方キロメートル)全島の面積に匹敵します。実に広大です。栃木県全体の面積は6408平方キロメートルですから、那須野ヶ原は栃木全体の6%以上を占めることになります。

栃木県の位置

関東地方の北部に位置する内陸県で、東は茨城県、西は群馬県、南は茨城、埼玉、群馬の3県、北は福島県に接し、県都宇都宮市は、東京から約90km、JR東北新幹線で約50分の位置にあります。

栃木県の面積

6,408km2、平成14年4月現在全国第20位 東西約84km・ 南北約98km

那須野ヶ原の地形の特色

写真:那須野ヶ原の地図

扇状地は河川が山地から平野に入る部分に発生し、山側を頂点として川が運んだ堆積物が扇状に広がるなだらかな地形です。川の流れは山から平地へと肥沃な土を運びます。しかし山の流出物は岩や石などのがれきも含み、重くて大きなものから山の近くに残されます。石を多く含むがれきが堆積した土地は水の浸透率が高く、水はけがいい土地となります。雨が降っても地面にたまらず、すぐに吸い込まれていくわけです。そのため自然の池や湖ができません。
堆積物の大きさだけでなく、その構成物も水はけのよさに影響を与えています。那須野ヶ原の堆積物は、火山灰が多く含まれています。近くに那須塩原温泉があることからもおわかりいただけるかと思いますが、那須野ヶ原周辺は火山性の土地です。火山灰は一般的な岩石よりも排水性がいいため、地表の水がさらに地中深くまで、より早くしみこみます。

那須野ヶ原は両端を那珂川と箒川に挟まれていますが、その中央部にも熊川と蛇尾川という2つの川が流れています。ただしこのふたつの川は、ふだんは川底が見えている"水無川(みずなしがわ)"で、その水流は川底のさらに下、地面の中を通っています。川底のさらに下を水が流れることを伏流水といいます。このふたつの川も那須野ヶ原の水はけのよさを象徴しています。那須野ヶ原の中央部では水無川ですが、さらに下流まで下っていくと、堆積物が大粒の石からこまかい土や泥に変わるため水の浸透率が下がり、蛇尾川は普通の川と同様に水が流れる様子を見ることができます。
那須野ヶ原は山ぎわの部分で標高500メートル、これが南東に緩やかに傾斜して標高100~150メートルまで下っていきます。地図で等高線を見ると、実に綺麗な間隔で標高が推移しているのがわかります。全体に凹凸が少なく、南東向きの斜面なので日当たりもとても良好です。

写真:水のない蛇尾川

本当にいいことばかり?

写真:荷車とてんびんをつかって水を運ぶ人々

「広大であり、南向き斜面で日当たりもよく、水はけがいい」という説明は、それだけでとてもいい土地を思わせます。ただしこれは現代人の感覚です。水はけがよいというのは、水の確保が難しいということであり、火山灰が多い土地は酸性化して土地がやせてしまいます。いくら日当たりがよく凹凸の少ない土地であっても、やせていて水がなければ農作物を作れず、また人が生活することもできません。困ったことに、この扱いにくい土地には400メートルの高低差があって、しかも4万ヘクタールも広大に続いているんです。那須野ヶ原自体は奥州街道沿いということで古くから知られた土地でした。しかし江戸時代には「手にすくう水も無し」とうたわれたほど不毛な土地でした。
この広大な荒れ地を人が住みやすく、また農業や酪農などの産業に対応させるには、いったいどれだけの手間とお金、そして時間がかかるんでしょうか。

実は、既に現在の那須野ヶ原では、そうした問題はほぼ解決しています。人の生活ということでは、現在では当然上下水道も完備されました。電気もガスも道路、テレビ、ラジオ、そして携帯の電波、インターネットも利用できます。こうしたライフラインについては、なんら都市部とかわりません。
 産業面では水利の確保と土地改良によって、農業や酪農がさかんになっています。酪農では栃木県の生乳(しぼりたての牛乳)生産量は北海道に次いで全国2位(2015年度 中央酪農会議調べ)、米産も同様に8位(農林水産省 2013年産水陸稲の収穫量)ですが、栃木県内で最も生産量が多いのがいずれも那須野ヶ原周辺地域です。那須野ヶ原は豊かな土地になりました。

写真:西那須野運動公園

写真:環境教育に貢献する田んぼの学校

1881年(明治14年)当時、那須野ヶ原の人口はわずか25人でした(中教出版 「住みよいくらし」 平成4年度小学校4年生社会教科書)。ケタや単位の抜けではありません。25人です。現在、那須野ヶ原のほぼ半分を占める那須塩原市の人口が約11万7千人(推計人口、2015年12月1日)です。複数市町にまたがるため那須野ヶ原全体としての正確な人口はわかりませんが、少なくても10万人以上の人が那須野ヶ原で暮らしています。人口増加率は実に4000倍です。

不毛な土地が、10万人が住む土地へと変わり、酪農や米産で県内随一の生産地に変わる―およそ100年の間に、那須野ヶ原に何があったのでしょうか。「那須野ヶ原の生い立ち」で時代をおってお話ししていきましょう。

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