関連施設

水管理センター

那須疏水を初めとする水利開削によって、那須野ヶ原扇状地の扇頂部から扇央部にかけての水脈の原形が出来上がりました。
さらに、より安定した用水を求めて多くの造改修工事が行われました。
1967年(昭和42年)から1995年(平成7年)3月にかけて実施された那須野ヶ原総合開発によって、深山ダムなどの水源確保と用水の統廃合・施設の造改修により330kmを超える水路網が整備され、水田並びに畑へ安定した灌漑が行われるようになりました。
現在、この地域を潤す全ての水のコントロールは、那須野ヶ原総合開発水管理センターにて集中管理されています。
公平かつ効率的な水管理と適切な施設の維持管理は、那須野ヶ原土地改良区連合に委ねられています。
蓄積してきたデータを常に公表し、番水や減水などの水の融通も管理委員会に図り、今後の方針を決めるなどのコミュニティを作り上げることにより、公平感が蓄積され水争いがなくなりました。

背割分水工

農業には水が必要不可欠です。
水の少ない土地柄で水を巡って争いがおこることも度々ありました。
そこで少ない水でも争いがおきないよう、一定の割合で正しく水を分ける工夫がされたのが分水工です。
分水工とは文字通り、水路の水を支線に分ける施設のことです。
貴重な用水を平等に配分するため、特異な水利秩序として「背割分水方式」が発明され、現在にも受継がれております。水量の多いときも少ないときも平等に配水できる分水工は、水に苦労した那須野ヶ原の歴史がうかがえます。

ウォーターパーク

通水から120年余りを経て、完成した"那須野ヶ原用水ウォーターパーク"。
那須野ヶ原にあった用水路には、古くは390基ほどの水車が回り、製粉・製材をはじめ、自家用発電などとして稼働し、人々の暮らしを支えてきました。
整備された複数の小水力発電設備や水の持つ優れた様々な特性を学ぶための親水公園は、それらの歴史的背景を後世に伝えるとともに、未来の子供達に、自然エネルギーの価値を伝えるための極めて有効かつ適正な設備であり、地球規模での環境異変が唱えられている昨今、時期を得た整備内容となりました。
このウォーターパークの建設を契機として、低落差で、かつ僅かな水量においても安定的な出力を得ることが出来る、新たな小水力発電システムの技術が創出され、何処でも誰でも気軽に水力発電所が建設できる"那須野ヶ原モデル"の完成に、また一歩近づくことが出来ました。
多くの方々に末永く活用いただけることを願っています。

那須野ヶ原みらい発電所

那須野ヶ原みらい発電所は太陽光発電を行いながら、水素を電気分解により製造するテストプラントで、戸田調整池に併設されています。
発生した水素を一旦貯蔵し燃料電池を利用して発電しているため、太陽光パネルでは発電できない夜間においても、燃料電池を使って夜の電気をまかなうことができます。
今後、この地域のエネルギーを地元で有効利用したいという思いを込めて、太陽光パネルには那須疏水の開発に尽力した渡辺美智雄翁直筆の「水を求めて」の文字が表記されています。

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